ニワトリ骨格筋芽細胞の筋分化および遺伝子発現の研究
二橋佑磨.
信州大学大学院 総合理工学研究科 農学専攻 先端生命科学分野.
Abstract
【目的】世界的な人口増加や途上国の経済発展により、鶏肉の需要が増加している。日本においても鶏肉の消費量は増加しており、さらなる生産効率の改善が求められている。食肉となる骨格筋組織は、筋線維上に存在する幹細胞の働きによって成育・肥大する。刺激された幹細胞は、筋芽細胞と呼ばれる前駆細胞へと活性化される。筋芽細胞は分裂によって増殖した後、筋細胞へと分化する。筋細胞は融合して筋管を形成し、既存の筋線維と融合することで筋組織が成長する。このように、筋芽細胞は骨格筋の形成・成長において中心的な役割を担っている。
骨格筋の形態は卵用鶏と肉用鶏で大きく異なるが、これらの系統間で筋芽細胞の遺伝子発現を比較した研究は極めて少ない。我々は、卵用鶏と肉用鶏の筋芽細胞を比較した結果、肉用鶏の筋芽細胞は活発に増殖し、筋細胞へと速やかに分化することを明らかにしてきた。このことから、肉用鶏筋芽細胞の性質は、短期間で多数の筋線維を形成する肉用鶏個体の表現型をよく反映していると言える。したがって、筋芽細胞の特性を理解することは、肉用鶏の育種や飼料の開発、ひいては鶏肉生産の向上に応用できることが考えられる。
本研究では、ニワトリ筋芽細胞の増殖・分化の分子基盤を理解するため、卵用鶏と肉用鶏の筋芽細胞における遺伝子発現を網羅的に定量した。さらに、バイオインフォマティクスと計量統計学的手法を用いて、ニワトリ筋芽細胞の性質に寄与する因子を探索した。これらの解析結果を実験的に証明するため、得られた候補因子の一つであるエンケファリンが、実際にニワトリ筋芽細胞の増殖・分化に影響を及ぼすかを評価した。
【方法】卵用鶏 (白色レグホン; WL) および肉用鶏 (UK チャンキー; UKC) の10日胚から筋芽細胞を採取し、培養条件下で筋分化を誘導した。各品種の分化誘導前 (day 0)、分化誘導後1日目 (day 1) および2日目 (day 2) の筋芽細胞から RNA を抽出した (n = 3、計18サンプル)。東京農業大学との共同研究により、各サンプルにおける遺伝子発現を RNA シーケンシング (RNA-seq) で網羅的に定量した。正規化した発現量から、品種間または筋分化において発現パターンが変動する遺伝子群を抽出した。得られた遺伝子群を、階層的クラスタリングにより、4つのサブクラスに分類した。オントロジー解析により、各クラスの遺伝子群の機能と相互作用を分析した。また、主成分分析により、筋芽細胞の特性に寄与する未知の因子を計量統計学的に探索した。
WL と UKC の筋芽細胞におけるエンケファリン前駆体遺伝子 PENK の発現を qPCR で定量し、RNA-seq データとの相関を確認した。次に、メチオニン-エンケファリン (MENK) またはロイシン-エンケファリン (LENK) を添加した増殖培地または分化培地で UKC 筋芽細胞を培養した。増殖条件では細胞数の計測、分化条件では骨格筋マーカーであるミオシン重鎖 (MHC) の免疫染色を行い、筋芽細胞の増殖・分化におけるエンケファリンの影響を評価した。
【結果】RNA-seq で定量された 26,640 遺伝子から、サンプル間で有意に発現量が異なる遺伝子群 (differentially expressed genes; DEGs) を抽出した。まず、day 0, 1, 2 のいずれかにおいて WL と UKC で発現量が異なる 1,032 DEGs を同定した。その内 336 DEGs は、筋分化の過程を通じて (day 0-2) 発現量が異なり、品種間の形質差に重要な遺伝子群であることが示唆された。336 DEGs をオントロジー解析した結果、コラーゲンなど細胞表面タンパク質のクラスタが複数検出された。細胞外に露出するタンパク質は、筋芽細胞の特性を評価する有用な指標となることが期待される。
次に、WL または UKC 筋芽細胞の分化において発現が変動する 840 DEGs を抽出した。階層的クラスタリングにより、840 DEGs を4つのサブクラスに分類した。未分化な WL で発現が高い WG 群、未分化な UKC で発現が高い UG 群、分化後の WL で発現が高い WD 群、分化後の UKC で発現が高い UD 群である。オントロジー解析により、各遺伝子群の機能とタンパク質間相互作用を調べた。WG 群 (45 遺伝子) と WD 群 (270 遺伝子) には機能的なクラスタを認めなかった。一方、UG 群 (117 遺伝子) の解析では、細胞分裂に関わるクラスタが有意に検出された。また、UD 群 (393 遺伝子) には、アクチンやミオシンなどの筋タンパク質が多数含まれ、強く相互作用していた。UG 群と UD 群の解析結果は、活発に増殖し速やかに分化する UKC 筋芽細胞の表現型とよく一致していた。
さらに、筋芽細胞の性質に寄与する未知の遺伝子を計量統計学的に探索するため、筋芽細胞で発現を認めた 13,815 遺伝子を対象に主成分分析を行った。主成分分析によって定義された第1主成分 (寄与率 0.73) は筋分化の段階と、第2主成分 (寄与率 0.10) は品種間の差異と極めてよく対応していた。各主成分への因子負荷率が大きく、かつ 336/840 DEGs に含まれる 13 の候補因子を同定した。候補因子の半数は細胞周期関連遺伝子と筋タンパク質からなり、オントロジー解析の結果と対応していた。その他の候補因子の一つであるエンケファリン前駆体遺伝子 PENK について、筋芽細胞における役割を実験的に調べた。qPCR と RNA-seq で得られた PENK の発現量は強い相関を示した (R2 = 0.623)。PENK の発現は、WL および UKC 筋芽細胞でともに筋分化に伴って減少したが、WL と UKC の間で有意差はなかった。増殖中の UKC 筋芽細胞に MENK または LENK を投与すると、対照群と比較し、投与72時間後に細胞数が有意に減少した。一方、分化誘導中の UKC 筋芽細胞に MENK または LENK を投与しても、MHC 陽性の筋細胞や筋管が出現する割合は変化しなかった。
【結論・考察】ニワトリ筋芽細胞における遺伝子発現の網羅的な定量と、バイオインフォマティクス解析から、肉用鶏の筋芽細胞では増殖・分化に関わる遺伝子群の発現が高いことを明らかにした。本研究で同定された、品種間で発現が異なる遺伝子群は、肉用鶏の骨格筋量の予測に有用なマーカーとしての応用が期待される。さらに、オントロジー解析と計量統計学的手法により、筋芽細胞の性質への関与が推測される因子を複数同定した。これら候補因子の役割の解明は、筋芽細胞による筋形成メカニズムの理解を進め、食肉生産に資する新たな知見に結び付くと期待される。本研究ではその一例として、ニワトリ筋芽細胞がエンケファリンを発現すること、エンケファリンはニワトリ筋芽細胞の増殖を抑制するが筋分化には影響しないことを明らかにした。エンケファリンを含むオピオイドペプチドは、様々な食品に含まれることが知られている。本研究の結果から、飼料中に含まれるオピオイドが家畜の筋形成に及ぼす影響など、新たな研究課題が提示された。